人間社会と問題行動(Facebook 記事移植)


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今まで経験した事がないほどの大変なめにあった日々もやっと落ち着きまして、仕事のほうはじわりじわりと日常を取り戻しつつあります。

守秘義務の強い職場というのもなかなかに大変です。

さて、はからずもうちの子になってしまったツナさんがめでたく一歳を迎え、うちに来てまる一年になりました。

最近では「猫が落ちている」という状況にもだいぶ慣れ、犬との違いに驚愕することもめっきり少なくなりましたが、逆に、犬や我々人間との共通点にも気づきはじめました。

よく、「犬や猫といっしょにするな!」というお叱りの声も聞かれますが、いっしょにはしていません。だってうちのかわいいかわいいムスメは猫ですから。
猫だからうちのかわいいムスメなんですから。

それでも動物という大きな括りで、生理学的にも生物学的にも共通点はあるわけです。

強度な問題行動というものは、だいたい不安や恐怖の意思表示が「伝わらない」事が原因のものが多く、さらにその不安や恐怖は「知らない」「経験がない」という事から起こるものがほとんどです。

それなりの知能を持つ動物であれば、すべからく同じです。

知らないものを知らないまま、経験のないものに慣れないままにしておくと、いつまでもネガティブな感情は拭えません。
そのネガティブな感情が問題行動を生みます。

ちなみに、「問題行動」とは人間社会を円滑に運営していく上で問題になるというものです。

ですから犬の問題行動も猫の問題行動も発達障害児の問題行動も定型発達の2歳児の問題行動も、すべて、成熟した人間社会を円滑に運営して行く上で問題になるのであって、本人の都合では一切ありません。

これを人間社会で問題にならないように、知識を与え、経験を与えて円滑にしようというのが教育であったり療育であったりです。

ブルーハーツの甲本ヒロトさんのお話に、
「学校は、全然合わない色んな人が乗り込むバスにちゃんと我慢して乗れるように訓練するところ」
といった意味合いのお話がありまして、まさにです。

さて、知識が薄い事、経験がない事といえば、我々も今まさに晒されているこの状況がまさにそうなわけです。

個人的にいえば、自覚なく問題行動に走っている方々も散見されますが、自覚がないのは当たり前で、これは社会にとっての問題であって本人の都合では一切ないのです。

我々、ある程度の大人で学習も訓練もされた者は社会のために、自分が問題行動を起こしていないか冷静に振り返ることも時には大事。

今、足元に「落ちている」我がかわいいムスメを眺めながらふとそんな事を考えるのです。